2014/10/24第9回 駆け出し芸人たちの『ダビスタ』
Text by カンニング竹山

『ダビスタGOLD』はまだ発売にならないのか!
正直、最近は毎日こんな気分で生きている。

今すぐにでも『ダビスタ』をやりたいと心から待ち望んでいるファンは、きっと俺だけではないはずだ。
しかし、もういいおじさんになったので、俺は知っている。
待ち望む時間が長ければ長いほど、それだけ手にした時の喜びが大きいことを。
ああ、待ち遠しい…。

こんなに待ち遠しい『ダビスタ』であるが、出会いは偶然以外の何者でもなかった。
今から確か22~23年前、俺は競馬もまだまだ初心者であった。
ましてや子どもの頃からそんなにゲームに夢中になったことがなかった俺は、競馬シュミレーションゲームなんてものがあることさえ知らなかった。

当時俺は21歳か22歳(記憶が定かでなくて申し訳ない)、上京して2年目ぐらいだっただろうか。
「カンニング」というコンビを組んで1年目ぐらいの駆け出しの芸人であった。
当時はワタナベプロさんにお世話になっており、ここで出会った先輩や同じ歳ぐらいの芸人達と毎日飯は食えないが、楽しい青春時代を送っていた。
俺にとっては、このワタナベプロさんにお世話になっていた時期が、大学生活みたいなものだったのかもしれない。
余談ではあるが、この時代の仲間で現在芸人を続けている者はほとんどいないが、いまだに俺の人生の中で大切な仲間としてつながっている。

この時代、仲間の先輩の親が買った3LDKのマンションが埼玉県の三郷にあり、借り手がつかないということで、そこに1人で住んでいた。
だから、金もない俺らは土曜日のネタ見せが終わると、当たり前のように皆で港区から三郷へ向かった。
ざっと10人以上はいたであろうか。
そこでは、誰もが遊びに遊んでいた。
酒に酔う者、麻雀を打つ者、そしてゲームをする者…。
各々がその場に少なくとも2日間は居座って、皆青春を楽しんでいた。

その時に俺は『ダビスタ』に出会った。
丸2日間ぐらい、仲間の誰かがつねに『ダビスタ』をやっている。
やり込めばGⅠを勝つ馬も出る。
そして、みな駆け出しとは言え芸人なので、馬の名前でボケる遊びが流行った。
そんな馬がGⅠを取ったりすると、横の麻雀卓からも国士無双を上がったぐらいの勢いで歓喜の声が飛んできた。
中でも俺ら全員のスターホースは、牡馬の「○○○○○○○ー○」という、文字にも絶対に出来ないぐらい下ネタの馬であった。
確か、GⅠを10勝ぐらいしたのではなかろうか。
GⅠを勝つたびに皆で笑い転げるその様子は、今考えると何が面白いかまったく理解できないが、とにかく爆笑し続けた。
芸人としては皆あまちゃんであったが、そんな変な遊びから俺のダビスタキャリアは始まった。

だからきっと43歳にもなって、こんなにも『ダビスタ』が待ち遠しいのは、もしかしたら『ダビスタ』というゲームを通して、あの頃のノスタルジックな気分を望んでいるせいなのかもしれない。

カンニング竹山
1971年、福岡県出身。上京後、1992年にお笑いコンビ「カンニング」を結成。2004年より単独で「カンニング竹山」として活動。以後、お笑いだけでなくバラエティやドラマ、映画など幅広く活躍している。競馬とは1990年代前半に出会い、いまでは芸能界屈指の競馬愛と知識を誇る。フジテレビ「うまズキッ!」の5連単クイズ企画では、投票した競馬記者の思考を読んで答えを探し、競馬ファンの視聴者を大いに感心させた。
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