2014/9/12 第3回 
『ダビスタ』との出会いとホーク爺の誕生
Text by ホーク爺

ダビスタ探偵、活動再開~!

うほほ~い。
『ダビスタ』ファンのみんな、元気にしとったかいのぅ。

まずはワシのことを知らない読者のために、簡単に自己紹介をしておこう。
ワシは全国15ヵ所に支部がある日本最大の『ダビスタ』研究機関、ホーク探偵事務所の所長を務める「ホーク爺」というジジイじゃよ。
強い馬を求めて“ダビスタの謎”を探り始めたのはPC98版『ダービースタリオン』が発売された1993年。
早いものでそれから21年という月日が流れた。なかなか感慨深いのぅ。

今回はダビスタの新作が出るという噂を聞いて隠居していた山奥から飛んで来た。
ダビスタ探偵としての調査活動は2008年の『ダービースタリオンDS』以来で、ほぼ6年ぶりじゃ。
嬉しさと懐かしさでもうドキがムネムネじゃよ~!


ホーク爺自筆の自画像。似ているかどうか…は、みなさんのご想像におまかせする(笑)。

「ホーク爺」誕生秘話を初公開!?

今回、大王(成澤大輔氏のこと)から「ダビスタとの出会いとホーク爺の誕生」について語ってほしいと頼まれたが、はてさて、どうしたもんかいの~。

じつはこの質問、これまでに幾度となく聞かれてきたけど、きちんと答えたことは一度もないんじゃ。
別に隠していたわけじゃない。
単に「ホーク爺」というキャラクターが生まれるまでに結構な数の伏線があったので、全部説明するのが面倒だっただけなんじゃよ~。
まぁ、このコラムはごく一部のマニアしか読まないだろうから(←問題発言)問題なかろう。
長いので、みんなテキトーに読み飛ばしてくれい!
ふぉっふぉっ!


自画像の色指定。あれ? 上のイラストと見比べると、口の中のM(マゼンダ)20%が抜けてるような……。

芦毛馬・スダホークの走りに感動

弁護士を目指して大学に入ったワシは結局、法律の勉強が面白くなくて断念。

勉強し過ぎた反動で遊びのスイッチが入ってしまい、バイトと競馬と女性に明け暮れるという典型的なモラトリアム学生時代を満喫する。

本格的に競馬にハマったのは、1985年の日本ダービー。
田原騎手を背に、最後方から猛然とまくって2着に入った芦毛馬のスダホークに大感動!
以来、競馬の面白さに魅せられる。
同時に、タマモクロス、ホクトヘリオス、オグリキャップ、ウィナーズサークル、メジロマックイーン、プレクラスニー、ホワイトストーンなどの白い馬(芦毛馬)を応援するようになっていったんじゃ。

パソコン通信で競馬フォーラムに参加

1992年。
西田和彦氏が雑誌『競馬最強の法則』で「西田式スピード指数」を発表すると、ワシはこの理論をベースに、オッズと馬の実力との乖離(かいり)に着目した独自の競馬必勝法を開発。給料以上に馬券で稼ぐようになった。

翌1993年には、さらにスピード指数を研究するため、パソコン通信ネット「ニフティサーブ」に入会。「競馬フォーラム」というコミュニティに参加した。
競馬フォーラムでは「カツラギ」や「TARGET(ターゲット)」など、素晴らしい競馬ソフトにも出会うのだが、これについては割愛。
また、競馬フォーラムには「競馬ゲーム会議室」という掲示板があり、『ダービースタリオン』や『ウイニングポスト』などのゲームファンが夜な夜な集まって交流していたが、ワシはこの時点では参加していなかった。

競馬ゲーム三昧の日々

1994年2月。
『ダービースタリオンⅡ』(以下、『ダビスタⅡ』)が発売されると、シンプルでありながら、実競馬のエッセンスだけを凝縮させたような面白さを持ったこのゲームに、ワシは完全に魅了された。
仕事中はもちろん、食事中もトイレの中でも『ダービースタリオンⅡを一生遊ぶ本』を持ち歩き、血統のことばかり考えていたっけか。
また、ゲーム内で育てた全ての馬について、血統、売却価格、牧場コメント、全調教内容、全レース結果などを詳細に記録していた。

そして、記録したA4用紙の枚数が200枚を超えたころ、当時付き合っていた彼女が愛想を尽かして出て行ってしまったっけ。
一人ぼっちになったワシは、落ち込むどころか自由になったのをいいことに、ますます『ダビスタ』に深~くハマっていったんじゃよ。


1994年4月25日に発行。
「この本、カラーページの無線綴じが柔いんで、使い込むとバラバラになっちゃうんだよね。
うちにも壊れたのしか残ってないよ」(成澤談)

『ダビスタ』理論を発表!

1994年の夏ごろ、『ダビスタⅡ』をヘビーにプレイしながら競馬フォーラムの「競馬ゲーム会議室」に参加。
当時のハンドルネーム(会議室で使うペンネームのようなもの)は、スダホークにちなんで「ホーク」という名前を使ったんじゃ。
数ヵ月後、コツコツと溜め込んだ膨大なデータを元に爺さん言葉を使いながら「産駒売却価格と上がり3Fタイムを使った生産理論」を発表。
これがダビスタファンのあいだで大きな反響を呼ぶ。
気付けば、ハンドルネームが「ホーク」なのに、みんなからは「ホーク爺」と呼ばれるようになり、理論派プレイヤーとして一目置かれるようになっていったんじゃな。

このダビスタ理論は、当時『ダービースタリオンⅡを一生遊ぶ本』でサイキョウヌスットという名馬を生産し、攻略ページを担当していた天才ライター・徳田雅哉氏の目に留まる。
そして、のちに『ダービースタリオンⅢ全書』の攻略スタッフとして、本作りを手伝うことに繋がっていくわけじゃ。

いやいや。
人生、何がどう転がるのか、わからないもんじゃの~。
ではまた、近いうちにまたお目にかかろう。
ふぉっふぉっ!

ホーク爺
ダビスタ探偵として、多くの『ダビスタ』プレイヤーに攻略情報や遊び方を発信し続けてきた謎の老人。競馬専門紙で『ダビスタ』大会を主催した際には、決勝レースを大井競馬場の大画面で行って大きな話題を呼んだ。日本最大の『ダビスタ』の研究機関「ホーク探偵事務所」や「ラグビー友の会」といった団体の会長を務め、最強馬生産理論の構築をライフワークとしている。「『ダビスタ』でもっとも重要なパラメーターは実績でも安定でもなく、“根気”である」が持論。著書に『ホーク探偵事務所 ダビスタマル秘ファイル―最強へのパスポート』(アクセラ)『ダービースタリオン99の達人』(光文社)『ダービースタリオン04マニアックス』(KADOKAWA)『ダービースタリオンDS完全攻略ガイド+ダビスタ鉄人秘伝の書』(KADOKAWA)などがある。
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