2014/10/10 第7回 
薗部さんにとっての「ダービースタリオンズS」
Text by 成澤大輔(ダビスタ伝道師)

第80回のメモリアル開催だった2013年の日本ダービー。
当日は華々しく、さまざまなイベントに加えて、過去のダービー馬の名を冠したレースが行われました。
日本ダービー自体もキズナが大外から豪快にエピファネイアを差し切り、近年若手に押されて成績を落としていた武豊騎手の鮮やかな復活に、場内は大いに盛り上がりました。

その日本ダービーのひと前の第9レースに、「復刻ダービースタリオンズS」なる一戦が組まれました。
1988年から1992年までの5年間、ダービー・デーに行われていた「ダービースタリオンズS」の復刻版でして、出走資格は日本ダービー優勝馬、イギリス・フランス・アイルランドの3か国のダービーとケンタッキーダービー優勝馬の産駒に限られました。
古馬1000万条件、芝2400mの特別戦です。

そして、この「復刻ダービースタリオンズS」には、薗部博之さんの所有馬であるターゲットマシンが、1年半の長い休養を経て出走してきたのでした。
レースの1ヵ月ちょっと前に薗部さんから「休んでいるターゲットマシンがそろそろ厩舎に戻れそうなので、調整が間に合うようなら復刻ダービースタリオンズSを使ってほしいと宗像先生に頼んであるんだ」と聞いておりました。
薗部さんが珍しく目標レースの希望を伝えているのに軽く驚きましたが、「ダービースタリオンズS」が行われていた時期を考えれば理由も見えてきます。

1991年に発売されたファミコンの『ベスト競馬 ダービースタリオン』のゲームタイトルを決める際、薗部さんは最初に『オーナーブリーダー』というタイトル案を出しました。
ゲーム内容そのものを指し示す単語ですが、「競馬ファン以外には何のことかわからない」と却下され、次案である『ダービースタリオン』が採用されました。
1988年から行われていた「ダービースタリオンズS」が『ダービースタリオン』というタイトル名のヒントとなったのは想像に難くありません。
「ダービー馬の父」という意味ですから、ゲーム内容にも近からず遠からず。語感もいい。
そんな思い入れのある「ダービースタリオンズS」が復活し、しかも使えそうな所有馬がいるとなれば、出走希望を出したくなるというものでしょう。


ふだんは応援馬券なんてほとんど買わないんだけど、これだけは別。
ターゲットマシンには頑張ってほしかったし、馬券に「ダービースタリオン(ズ)」と入るからね。

ターゲットマシンは2010年にデビューしてから2連勝してクラシック路線に乗りかけましたが、気性に難があったため、トライアルで大敗を重ねました。
その後、3歳の秋に1勝はしたものの、今度は脚部不安に見舞われ、「復刻ダービースタリオンズS」後にも再度故障して引退せざるを得ませんでした。
ディープインパクトの初年度産駒にして母はキングカメハメハの半妹にあたる良血馬で、価格は4200万円[税別]と、セレクトセールで薗部さんが購入した競走馬としてはもっとも高額だったターゲットマシン。

『ダビスタGOLD』は今年のレーシングカレンダーをもとにレーススケジュールが組まれているため、「復刻ダービースタリオンズS」は登場しないでしょうが、ニンテンドー3DSの通信機能を使って再現されないものか、と密かに期待していたりします。

成澤大輔(ダビスタ伝道師)
1965年東京生まれ。1981年に競馬ファンとなる(当時高校1年生。その年の年度代表馬はホウヨウボーイだった)。1986年からライター、ゲーム攻略本編集制作を始め、1991年の年末にファミリーコンピューター用ソフト『ベスト競馬 ダービースタリオン』と出会う。1992年の春に『ダービースタリオンを一生遊ぶ本』(JICC出版局)を発刊し、以後15作にわたる家庭用機すべてとPC9800版の攻略本、2冊のファンブックを制作。また、プレイステーション版『ダービースタリオン』とのコラボ誌『ダビスタマガジン』(メディアファクトリー)の編集長も務めた。『ダービースタリオンGOLD』でふたたび“ダビスタ伝道師”を名乗れることに大きな喜びを感じている。
TOP