2014/12/05華麗なる大外爆走は
伝説的日本ダービー馬の証

パドック裏の木々の緑もいっそう深まる5月末。
日本ダービーの日の東京競馬場ってのは、朝から空気が浮ついている。
競馬場の1日は、メインレースに向かって徐々に盛り上がっていくものだけど、ダービーデイはその度合いが半端じゃない。
9Rのむらさき賞が終わってターフビジョンにパドックの日本ダービー出走馬たちの姿が映し出されると、テンションはさらに1レベルアップする。
やがて、スタート時刻を迎えるころには、観客の熱気もピークとなる。
息苦しくなるほどに。

そうした特別なレースである日本ダービー。
その中でも栄えある1位を獲得したのは、2005年の第72回。
無敗のディープインパクトだ。
後方追走から4コーナー手前で動き、直線は大外に出して一直線。
内ラチ沿いからは佐藤哲三騎手のインティライミが最高のタイミングで抜け出したが、無人の進路を行くディープインパクトの伸び脚にはお呼びでない。
坂を登ってからは差が開く一方。
じつに鮮やかな5馬身差だった。
英雄らしい快勝だった。

今回の投票結果は、1位ディープインパクトがナリタブライアンをぶっちぎり、ナリタブライアンもトウカイテイオーにダブルスコア(でもディープとナリタほどの差ではない)の差をつけたのだとか。
ナリタブライアンの日本ダービーも破格の勝ちかただった。
早めに動いて4コーナーでは大外から先頭に立ち、そのまま独走になって2着のエアダブリンに5馬身差。
スタンドから「なんだあのムチャな競馬は…」と呆れながら観ていたが、南井騎手が「とにかく怖いのはアクシデントだったんで、自分から早めに動いて馬のいないところ、馬場のいいところを走れば大丈夫だろうと思った」とインタビューでしゃべるのを聞いて納得したのだった。

ウオッカの日本ダービーは、勝ちっぷりよりパドックで初めて見たウオッカ自身の姿が強烈に印象的だった。
たくましい筋肉質の身体つき、リズミカルで古馬のような風格溢れる歩様は、周囲のオトコ馬たちが霞む迫力に満ち、しばらくの間見惚れてしまったぐらい。
もちろん、馬券を買い足しに走った(アサクサキングスを相手になんて買えねえよ)。
彼女の生涯を通じて、もっとも美しい時期だったのではないだろうか。

次点の6位はミホノブルボンとキングカメハメハが同数で分け合った。
弾丸のように逃げ切ったミホノブルボン。
ハイアーゲームの真っ向勝負、ハーツクライ渾身の追込みを容易く跳ね返したキングカメハメハ。
それぞれ名勝負だった。

わたしが投票したのは、1990年のアイネスフウジン。
あの「ナカノコール」で知られる一戦だ。
このときのアイネスフウジンが逃げ切る姿は、自分が体験したすべての中で、もっとも美しい事柄のひとつ。
じゃなかったら、自然発生的に「ナカノコール」なんて起こらない。

来年の第82回日本ダービーまで、もう半年を切った。
例年の傾向からすれば、ダービー馬はすでにデビューを済ませているだろう。
話題のあの馬か、まだ未勝利を勝ったばかりのアイツが大変身するのか……これからのクラシック路線でどれが台頭してくるのか楽しみでならない。
競馬ファンをやっていて、本当によかった!

第3回「俺の最強ダービー馬」結果発表
成澤大輔
1965年東京生まれ。1981年に競馬ファンとなる(当時高校1年生。その年の年度代表馬はホウヨウボーイだった)。1986年からライター、ゲーム攻略本編集制作を始め、1991年の年末にファミリーコンピューター用ソフト『ベスト競馬 ダービースタリオン』と出会う。1992年の春に『ダービースタリオンを一生遊ぶ本』(JICC出版局)を発刊し、以後15作にわたる家庭用機すべてとPC9800版の攻略本、2冊のファンブックを制作。また、プレイステーション版『ダービースタリオン』とのコラボ誌『ダビスタマガジン』(メディアファクトリー)の編集長も務めた。『ダービースタリオンGOLD』でふたたび“ダビスタ伝道師”を名乗れることに大きな喜びを感じている。
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