2014/11/21偉大なる名牝2頭が昇華させた名勝負

1984年から2000mに距離短縮された秋の天皇賞。
自分の記憶に間違いがなければ、中山で行われた2002年を除いて、すべて現場(東京)で観戦しているのだった。
今年も含めて31回行われた中で、最高の名勝負といえば2008年の第138回。
ウオッカVSダイワスカーレットの一幕で決まり。これしかない。

逃げるダイワスカーレットに外からディープスカイとウオッカが並んで追い込んでくる。
ゴール30m手前でディープスカイが力尽きて後退。
ウオッカは残りの5完歩を必死に伸ばしてダイワスカーレットに迫る。
やがてターフビジョンには、2頭の鼻面がゴール板にびったり並んだ場面が大写しされた。

そこから写真判定の結果が出るまでの長かったこと。
ターフビジョンにはゴール前の場面が何度も映し出されるが、どっちが勝ったのか、何回観てもはっきりしない。
一緒に観てた仲間たちと「同着もありだよねえ」「フラワーパークのスプリンターズSでも決着つけたんだから、同着はないよ」などとあれこれ話ながら十数分。
ウオッカの14番が一番上に表示されたときの驚きといったら。

届いていたのか。

ダービーで3馬身引き離したときもたいがいびっくりしたけど、この時に感じた得体の知れない勝負強さこそ、ウオッカの本質なんだろうと思った。
その後、ウオッカは東京競馬場でGⅠ3勝を積み増して、競馬の殿堂入りするばかりか、銅像まで建てられた。
東京競馬場の正門の近くにあるので、ご来場の際はぜひお立ち寄りを。
ちなみに、今回の票数は2位のダイワスカーレットに大差をつけてのぶっちぎりとか。
さすがですな。

でもね、ウオッカが輝くほど、ダイワスカーレットもまばゆい光を放つのだ。
戦歴の華々しさではウオッカに到底かなわないけど、桜花賞と秋華賞ではウオッカを完封し、ラストランとなった有馬記念では1番人気を背負って逃げ切った。
生涯成績12戦8勝2着4回。
先行して完璧に折り合うことで自分のペースを作り出し、ゴールまで最後まで絶対に崩れないレースぶりは、豪放磊落(ごうほうらいらく)なウオッカと正反対の姿だった。

いずれにせよ、この名牝2頭が同世代に生まれ、4度直接対戦した中で最高の一戦が天皇賞(秋)であり、それを現場でリアルタイム観戦できたことは競馬ファン冥利に尽きると、深まる秋の夜更けに何度もYouTubeの映像を眺めてしみじみするばかりなのであった。

おっと、上位2頭のことばかり話しすぎた。次行ってみよう。
3位ブエナビスタ、4位エアグルーヴ、5位ヒシアマゾンですか。
理想的な順位と言っていいんじゃないか。

ブエナビスタと言えば、バネのかたまりのような馬体と、不器用だけどいつも懸命なレースぶりが浮かんでくる。
GⅠ6勝は十分に偉大な戦績だけど、あと少しだけ運が向いていたら……、あと少しだけ早めに勇気を振り絞ることができたら……と考えずにはいられない。

エアグルーヴは牝馬で17年ぶりに天皇賞(秋)を制しただけでなく、繁殖入りしてはアドマイヤグルーヴ、ルーラーシップ、フォゲッタブルなど4頭の重賞勝ち馬の母となりました。
エアグルーヴの母、オークス馬ダイナカールから牝系3代連続してGⅠ勝ちを果たした。
競走成績と繁殖成績を両立させた数少ない名牝である。

ヒシアマゾン。空飛ぶヒシアマゾン。
1994年のクリスタルCの追込みを観よ。
そしてその後、完成の域に到達したエリザベス女王杯と、翌年の1995年ジャパンCを観るがいい。
外国産馬不遇の時代にあって…などという決まり文句など、この馬には不要だ。

上位5頭について簡単に解説してきたが、いかがだったろうか。
ちなみに次点の6位はホクトベガ、唯一の現役馬ジェンティルドンナはその次の7位という結果。
ジェンティルドンナって、成績や能力は上位5頭とさして変わらないはずなんだけど。

わたくし成澤は、南関東が生んだ名花・ロジータに1票を投じました。
オールカマーと川崎記念の現場で見たロジータは、すらりとしたプロポーションに一目惚れするほどの美少女だった!
あれは衝撃的だったなあ。

第2回「俺の最強牝馬」結果発表
成澤大輔
1965年東京生まれ。1981年に競馬ファンとなる(当時高校1年生。その年の年度代表馬はホウヨウボーイだった)。1986年からライター、ゲーム攻略本編集制作を始め、1991年の年末にファミリーコンピューター用ソフト『ベスト競馬 ダービースタリオン』と出会う。1992年の春に『ダービースタリオンを一生遊ぶ本』(JICC出版局)を発刊し、以後15作にわたる家庭用機すべてとPC9800版の攻略本、2冊のファンブックを制作。また、プレイステーション版『ダービースタリオン』とのコラボ誌『ダビスタマガジン』(メディアファクトリー)の編集長も務めた。『ダービースタリオンGOLD』でふたたび“ダビスタ伝道師”を名乗れることに大きな喜びを感じている。
TOP